米の歌

RamblingLabel RAL-9701 1,000円(税込)


遂に!それはたくさんの人々のCD化・カラオケ化の熱い要望に応えてあの名曲が!(本当にカラオケ付きだ!)
大胆な女性民謡コーラスと流麗なるストリングス!メトロファルス16年目の初シングル!新境地がここに。

この曲をかつて音楽をいっぱい聴いてたのに今は縁遠くなってしまったオ兄ィーサン達に捧げたい。レッキとしたオッチャン、オバハンにもパチンコ屋かなんかで知らぬうちに口ずさんでいるという罠にはめたい。

●収録曲目

  1. 米の歌
  2. 夜のポストリュード
  3. 米の歌(オリジナル・カラオケ)


MEMBERS
伊藤ヨタロウ…Vocals
光永巌…Bass
ライオン・メリィ…Accordion, Keyboards
田村玄一…Acoustic Guitar, Pedal steel, Chorus
横川タダヒコ…Mandolin, Violin, Chorus
石坪信也…Drums


Aditional
川口義之…Shaker on #1, Recorder, Tambourine on #2
四家卯大…Cello on #1
CHICA…Violin on #1
木津茂理…"天の羽衣"Chorus on #1
民謡子…"天の羽衣"Chorus on #1

PRODUCED BY METROFARCE&澤井宏始(SISTEMA)


■ついにロックバンドは旅芸人のテーマ曲を作ってしまいました。これをもって楽隊のロードムーヴィーを撮りに行きましょう。勿論、美少女も一緒に…。いや~気に入ってます。
廣木隆一(映画監督『MIDORI』『800』)
■ヨタロウさんの唄声は悪魔っぽくて、天使っぽくて、いずれにしろアルツハイマー気味で、だからこそ、何よりも自由だ。
松尾スズキ(大人計画主宰)

■メトロは“メトロファルス”の名前からしてアンダーグラウンドな姿勢なのかなと思うときもあるが、それにしちゃー曲が!!PopでPopで全然アングラ感がないんだ!それを象徴するかのごとくリリースされる此の度のシングル…「米の歌」はメトロ版「上を向いて歩こう」か!?爽快~!!
戸川純(女優・歌手)

■「米の歌」CDシングル化おめでとうございます。俺の目標とする“カッコいい親父”第2位のヨタロウさん(1位はヤザワ)、またひとつ、カッコよくなりましたね。チクショーって感じっす。「米の歌」。この曲は、彼女とHしてる時、挿入したまま腰を動かさないで聴いていたい。そんな曲です。そんぐらいなんか気持ちいいってことです。春の晴れた日の真っ昼間、芝生にねころがって聴く、そんなベタな聴き方をあえてしてみたい。そんな曲です。そん時、俺は射精してしまうでしょう。気持ちよすぎて。ライヴん時、客席から大声で一緒に唄いたい。あーなんて気持ちよさそうなのだ!シングル聴いて、よりライヴにいきたくなりましたです。同封されてた“米の歌縁起”。なんてカッチョいい文章なんでしょう。『チクショー!ファッキンヨタロウ!』俺からの最高の賛辞の言葉をお送りします。
マギー(ジョビジョバ)

米の歌縁起・伊藤ヨタロウ

1960年代後半、ウルトラ怪獣とGSが好きだった小僧の家の前を学生達が舗道の敷石をはがして機動隊に投石していた。
海の向こうでは、フラワー・チルドレンと呼ばれる人達が、素っ裸でドロンコになってたり、花をまとったり、ピースマークをつけたりしてた。白黒TVの中で衛星中継だといって、ビートルズが『All You Need is Love』と歌っていたのと、ボンヤリつながっていった。
三島由紀夫がお腹を切っちゃって、さぞ痛いだろうにとかのエンケン氏が思んぱかった頃、チューボー小僧はバンカラを気取ってマントを羽織って北の丸公園に下駄音を響かせていた。まだ武道館には外タレなぞというものはほとんど来ていない頃だった。
高校に入ると、学園紛争の燃えカスのような時代に制服廃止をアジって、まんまと勝ち取ると、長髪にズタボロのジーンズで通学途中下車。井の頭公園や中央線沿線のロック喫茶にひっかかった。
学園祭では、ニール・ヤングの『Down by the river』を演奏しつつ、跳び箱台を棺桶に見立て、中にトマトジュース&ケチャプ入りキューピーちゃんを横たわらせ、間奏時にナイフを突き刺し、前にいた女の子たちに赤色の液体をひっかけ、ヒンシュクを大いに買う。ビールとトマトジュースが、エレキ・ギターにもかかってビリビリきてたが、山田かまちにはなれなかった。
その頃、渋谷に名だたるロック喫茶あり。名をBYGといい、学校も行かずそこでクソまずい珈琲なぞを運んでいるうちに、はちみつぱいやあがた森魚といった人々と出会う。それが小僧の人生真っ逆さまに拍車をかけたことは推して知るべし。
70年代の前半くらいメリケンを中心にいわゆるロックッて音楽を貪り聴いた時期はなかったんぢゃないか。ウエスト・コーストから南部、ザ・バンドエゲレスじゃD・ボウイ、キンクスそしてのトラッド・ミュージック。グラムだろうが、ベアーズビルだろうが、結構なんでもムシャムシャ食べてみた。
70年代後半になって、小僧は熟した果実が腐っていくのを感じ始めた。
『ホテル・カリフォルニア』が世界的ヒットになって、ロッド・ステュアートがロック成金を高らかにうたい、音楽産業の方々が「なんだ、ロックもショーバイになるじゃん」などと囁き始めた頃だ。
あんなに苦手だったブラック・ミュージックに首ねっこつかまれてった。かぶりつきで見たマーヴィン・ゲイやアル・グリーン。「今でもジンとくらァ」と手鼻をかむ小僧であった。
E,W&Fがピラミッドに消えて、クロスオーバーって言葉が、フュージョンという言葉に変わっていった頃、不景気極まりないエゲレスの連中が熱くなった。
パンク~ニューウエイヴの海岸に漂着した瓶には、ゴキゲンな刺激がいっばい詰まっていた。イアン・デューリー、ポリス、XTCやトーキング・ヘッズ。一度荼毘に付したところから始まったヤンチャで貪欲なロケンロー。 そこでなんだか大きな勇気をもらった気になった小僧は「いつまでも小僧ぢゃねーべよ」って時期にバンドを結成した。
メトロファルス……地下鉄の道化芝居。うーん、陽の目を見そうにもない名前を付けたもんだこと.........。五月蝿い。余計なお世話だこと。
時代は流れる。バブルははじける。ベルリンの壁は砕ける。年号も変わる。 そしてチベットの鐘や、喋る太鼓や、東欧のオバハンの声や、伊達でイカれたパリジャンのしゃがれ声にミュゼットや、カリブ男のドラム缶、神社のお囃子、中近東オヤジの滑っていくコブシ、酒焼けした顔にダミ声で歌うアイリッシュ野郎の「ケ・セラセラ」、サンバ・ババンバ、とぼけた顔してバンバンバンでウエスト・インディアン・ガールと一緒にテキサス・ランチで、ナホトカ・ウォッカの氷を鳴らす。
いつのまにかこんなところに来ていた。世界が近づいては遠のき、さまざまな音たちがグリンググリンと渦巻き始めた。小僧の神様。如是我聞。

1997年。小僧は老人で、オヤジで、小僧である。
今、僕はここにいる。こんな曲を書いたんだ。聴いてください。
ただ、それだけ。

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